「変わりたい」という人は、なんらかの生きづらさを抱えているのだと思いますが、変わりたいと思っている人は、実は世の中にはかなりいます。
あなたもこんなことを感じたことはありませんか?
- 人と一緒にいるのが苦痛だ
- こんなふうに考えてしまう自分が嫌いだ
- 飲み会や人の集まりが苦手だ
- なにをしていても心から楽しめない
- 変わりたいと思っているのに変われない
「変わりたい」と願うのは、成長したいという気持ちの現われです。そう考えられるあなたは、向上心のあるとても素晴らしい人です。
今回は、変わりたいのに変われない本当の理由をご紹介します。
変われない理由を理解し、そのうえで変わる方法に取り組めば、あなたもきっと変われますよ。
なぜ人は変わりたいのか
そもそも人はなぜ、変わりたいのでしょう。
自分の性格が嫌いだったり、もしかしたら何かしらのコンプレックスを持っているのかもしれません。
いずれにせよ、現状の自分に満足していないことが原因です。
それでは世の中の「特に変わらなくていい」と思っている人は、完ぺきな人でしょうか?
答えはNoですよね。
あなたもご存知の通り、完璧な人間なんて存在しないし、完璧な人間は人間ですらないと思います。
その証拠に「人間味がある」と言われる人は、どこか抜けていたり、不完全だけど憎めない部分を持っている人が多いものです。
それでも「変わらなくていい」と思う人がいるのも事実です。
では、「変わりたい」と思う人と、不完全な部分があるのにそれでも「変わりたいとは思わない」人との差は何なのでしょう?
それは、自分のネガティブな部分を認めているかどうかです。
自分の嫌な部分、ネガティブな部分を認めている人は、そういうマイナス部分もひっくるめて「自分」だと受け入れているのです。
それに対して「変わりたい」と思っている人は、自分のマイナス部分を受け入れられず、排除したいと思っています。
ただし、自分のマイナス部分を受け入れられないことは、悪いことばかりではありません。
自分の嫌いな部分をバネにして、理想に近づきたいと努力し変わるためのエネルギーに変えることができるからです。
アドラー心理学でも、劣等感は「健康で正常な努力と成長への刺激(アドラー心理学入門:岸見一郎)」と言っています。
つまり、劣等感(コンプレックス)は成長するためのきっかけになるということです。
劣等感や自分の嫌いな部分を成長のためのきっかけにできる人は、確かに変われますが、中には「変わりたいのに変われない」という人も多数います。
次章ではその理由について、お話します。
なぜ人は変われないのか
変わりたいと思っているのになかなか変われないのには、いくつかの理由があります。
- 人には「恒常性」がある
- 完璧主義である
- 自分にOKを出せない
それではひとつずつ、詳しく説明していきますね。
人には「恒常性」がある
人にはもともと「恒常性」という本能があります。
本能というより、細胞レベルから組み込まれている働きです。
恒常性をわかりやすくいうと、「キープしようとする力」。
怪我をして血が出れば、身体は血を止めようとし、体液を作ってかさぶたを作り、健康な状態をキープします。
体内にウイルスが入れば、高熱を出して撃退し熱を下げようとします。
身体を正常に保つため、人間に本来備わっている自然の作用なのです。
恒常性は身体機能のみならず、精神にも備わっています。
なにか危険が降り注いだ時に「危ない!」と感じなければ、危険を回避できないですよね。
つまり、ざっくり言うと、「人間は現状をキープしたがる」「人間はもともと変わりたがらない」ということです。
変わりたいと思いながらも恒常性という抵抗に抗うのは、とても大変ですよね。
変わることは今まで経験したことがない未知の世界。どんな予期せぬ危険が待ち受けているか分かりません。
でも、それと同時に「変わりたい」と思うのも、人間の自然な欲求です。
マズローの5段階欲求にも上の段階になるほど成長欲求が出てきます。
※マズローの5段階欲求は、こちらの記事に書いています。詳しく知りたい方はお読みください。
人は、「現状をキープしたい=変わりたくない」という面と、「変わりたい」という相反する面を持っているのです。
ということは、裏を返せば現状を「いまよりレベルアップした現状」にしてしまえば、今度はそれをキープし続けるということですね。
完璧主義である
完璧主義の人は、「完璧にしなければ次のステップにいけない」と思っている人です。
たとえば提出物がある場合、「完璧に仕上げなければ提出できない」とがんばります。
その結果、スキル不足の場合にはなかなか完成までたどり着けず、提出の手前で苦しむこととなります。
自分の性格についても「完璧でなければならない」と思っています。
人が集まる中でも「全て理解していなければ発言すべきではない」という気持ちから、なかなか自分の意見を言えない場合も多いでしょう。
それどころか、「完璧でない自分」を責めて、ますます自分が嫌いになったり自己卑下してしまいます。
しかし、物事は多くの場合、完璧ではありませんよね。
一方、完璧主義でない人は、完璧であることにこだわりません。
提出物の例の場合、自分がスキル不足だと思ったら、自分でできるところまで作ってさっさと提出してしまいます。
そして、「ここまではやったので、ご助言をお願いいたします」と上司や同僚の意見をもらって修正しながら、より新しいものに作り変えるという方法を取ります。
発言の例も、「これはあくまで私見ですが」と前置きすれば、完璧でなくても「今の自分が考えうること」として発言できますよね。
なんでも完璧にしなければならないという思い込みを捨てれば、生きづらさもかなり少なくなるはずです。
自分にOKを出せない
あなたは人には優しいのに自分には厳しく、なかなかOKを出せないのではありませんか?
完璧主義にも通じることですが、自分にOKを出せない人は生育歴が原因の場合もあります。
子どもの頃、親や先生など、生育者の都合や基準で厳しく育てられた人です。
人には個性があり、それは子どものうちからあるものですが、親が自分の思い通りに育てようとした場合、個性を否定される育てられ方をされてしまう場合があります。
また、学校などの集団教育の場では、協調性がないと授業ができないので、皆と同じができない子どもは「ダメな生徒」とレッテルを貼られてしまいます。
たとえば好奇心旺盛で、いつも新しいことを知りたくて飛び回っている活発な子の場合、
- 「おとなしくしなさい」
- 「落ち着きなさい」
- 「キョロキョロするのをやめなさい」
- 「質問ばかりするのはやめなさい」
- 「走らないように!」
などなど、せっかくその子どもの個性を伸ばせるような行動も、ダメなものとして教育し、抑圧されます。
その結果、「自分はだめなことばかりしている」と感じ、自分の思考や行動に自信がなくなり、自己肯定感が低くなります。
そして、「どんなに努力してもダメな自分」という自己像が出来上ってしまうのです。
変わりたいと思っていても、無意識レベルで「いつまでたってもダメな自分」をキープするため、自分でも知らないうちに変わらないことを選択し続けるのです。
もちろん、教育のおかげでメリットになる場合もあり、一概に全否定するつもりはありません。
しかし、「本来こうしたい」という個性を押し殺した結果、やりたいことがわからない無気力な人や、自分軸で生きられない人になってしまう可能性が高いのです。
自分の人生を生きるとは
「自分の人生を生きる」とは、人からの価値観ではなく自分の価値観で生きるということです。
変わりたいのに変われない人は、恒常性を乗り越え、完璧主義を手放して自己肯定感を上げる必要があります。
恒常性を乗り越える方法は後述しますが、完璧主義や自分にOKを出せない人は、親からの刷り込まれた価値観を自分で変えていく必要があります。
そうしてはじめて、「自分が本当に生きたい人生」を送れるようになれるのです。
自分が本当に生きたい人生を送るようになるためには、
- つい没頭してしまうような楽しいこと・得意なことをみつける
- 人と比べない
- 苦手は克服するのではなく放っておく
という方法が有効です。
つい没頭してしまうような楽しいこと・得意なことをみつける
人には誰にでも、「これだけは人より得意」というものがひとつくらいあります。
どんな些細なことでも、人よりできるものが分かっていると、それが自信に繋がります。
たとえ世界で一番ではなくても、それをやっている時間の量で、いつのまにか「これをやらせたらあの人がすごい」と突出できるようになります。
また、仕事につながるものであれば、得意分野で才能が開花することがあります。
定年してから小説家になった人や、80歳を超えてからアスリートになった人もいます。
新しいことは何歳からはじめても可能なので、「できるはずない」と思い込まずにやり始めてみることです。
人と比べない
よく「人と比べるのはやめよう」などと言われますが、その真意は「自分の人生は人とは比べようがない」ということです。
人はそれぞれ、生まれ育った環境や持って生まれた才能、培ってきたスキルが違います。
同じものを見ていても、ある人には◯にしか見えないものが、別の人には65537角形に見えているかもしれません。
(※65537角形とは、限りなく円に近づけた多角形のこと。ほぼ円にしか見えない)
人の価値観やバックグラウンドは違うものなので、そもそも比べることができないのが本当です。
ピンポイントだけ比べて「あの人は私よりできる」などと思っても、それはあまり意味がありません。
比べるべきは過去の自分。そう思うと人の目も気にならなくなります。
苦手は克服するのではなく放っておく
誰にでも苦手なものはあるものですが、それを克服する必要は本当にあるのでしょうか。
日本の教育では苦手は克服すべきものと習います。確かに、苦手を克服する作業は忍耐力を養えるというメリットもあります。
忍耐力をつけるのは、ある程度必要なことでもありますが、私は基本的には苦手なことは放っておき、得意なことを伸ばしたほうがいいのではないかと思っています。
昔、苦手なことを克服することが奨励されたのは、全国民の学力や運動レベルを引き上げるためです。
ですが、「苦手を克服する」考え方は、苦手にまず焦点を当てなければならないので、苦痛が伴います。
そのうえ、焦点を当てたものに対して「それはまずい」という価値観が投入されるのです。
それなのに、得意なことは「できている」とみなされ、あまりライトアップしてもらえません。
一時期「褒める教育」がもてはやされたのも、そんな反省点から来ているのかもしれませんね。
別の視点から考えると、苦手を克服するには時間と労力がかかります。
ですが、はじめから得意なことを伸ばすのには、時間も労力もそれほどかかりません。
さて、どちらが効率的で、自己肯定感を上げることができるでしょうか。
この考え方は、セリグマン博士が提唱するポジティブ心理学でも証明されています。
自分を変えたいなら、苦手なことには触れずに放っておきましょう。
そして、自分が生まれ持った宝石をどんどん磨いて、ピカピカにしましょう。
変わりたいのに変われない人へのまとめ
変わりたい人は、現状の自分に満足していないことが原因です。自分の現状を受け入れられないので、「変わりたい」という欲求があるのですね。
でも、変わりたいのに変われないのは、
- 「恒常性」が作用している
- 完璧主義な性格
- 自分にOKを出せない
という理由があるからです。
それは、人間の本来持っているものであったり、生育歴の中で自分の意志とは関係なく培われてしまったものかもしれません。
そんなやっかいな「かわれない理由」を退けて、本来の自分の特性を活かして自分らしく生きるには、
- 没頭するくらい楽しいこと・得意なことをみつける
- 人と比べない
- 苦手は放っておいて得意だけを伸ばす
ことが有効です。
そして、それを実行するために、5つの方法をご紹介しました。
- 事実と思い込みを整理する
- 目標設定をする
- アファメーションをする
- 環境を変える
- モデリングをする
ただ漫然と「変わりたい」と思っているより、具体的に計画を立てて実行すれば、ゆっくりと、しかし確実に変わっていけます。
根気強く行動して、自分をより良い方向に変えていきましょう!